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Diary 2004
2004-12-18 推薦入試合格者からのメール、ウクライナ行きのことなど
 11月27・28日に行われた推薦入試の合格者が12月7日に発表になりました。そのあと、合格者の何人かの生徒さんから、さっそくメールをいただきました。メールの内容は、「何か課題はないのですか」とか、「入学までどんな勉強をしたらいいのでしょうか」といった内容のお問い合わせと、「ロシア語の辞書は何がよいか」という質問です。
 上智大学ロシア語学科では、推薦入試の合格者の方に、とくに課題を出していません。実は、学科の教員会議で、推薦入試の合格者に課題を出すかどうか議論したことはしたのですが、結論を出すには至りませんでした。
 私個人の考えでは、ロシア語については、入学後に毎日やることになるので、それまでは、ロシア語については、音声教材を使って耳慣らしをする程度でよいと思います。文法などをとくに勉強する必要はないでしょう。それよりもむしろこの時期、ロシアの歴史や文化などについて書かれた本、あるいはロシアの文学作品などを、読んでいただければと思います。本を選ぶ場合には、このホームページの参考文献なども参考にして下さい(*1)。
 (*1)当時のホームページには文献紹介のページがありましたが、現在、そのようなページは設けていません。あしからずご了承ください。
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 話は変わりますが、12月21日(火)夜、ウクライナに向けて出発します。帰国は28日です。12月26日のウクライナ大統領選挙の決選投票の再投票の選挙監視のためです。実は、この時期、都立大学の集中講義が入っていたので、都立大学の学生さんたちには大変ご迷惑をおかけすることになるのですが、集中講義の日程を12月24、27、28、29日の4日間から、12月29、30日、1月6、7日に変更させていただきました。12月28日に帰国して、29日から集中講義が始まりますので、都立大学の学生さんたちが、いちばんホットな話を真っ先に聞くことになります。集中講義の日程変更で、都立大学の学生さんには本当にご迷惑をおかけしますが、どうかご容赦下さいm(_ _)m
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2004-12-06 「イコンの会」忘年会とロシア語学科同窓会
 12月3日(金)夜、「イコンの会」の忘年会が開催されました。  「イコンの会」というのは、在京の若手(でない人も含む?)企業人で、ロシア担当の部署にいたり、実際にロシア勤務の経験がある人などを中心に組織されている、自主的な勉強会・親睦会です。私はずいぶん前、正確に覚えていませんが、5、6年前か、あるいは7、8年前に勉強会の講師に呼ばれて以来、「イコンの会」とおつきあいしています。メンバーは企業にお勤めの方が中心のようですが、フリーの方や官庁におつとめの方もいらっしゃいます。
 忘年会には、講師に呼ばれた専門家や、来日して企業に勤めているロシア人の方などもおられて、多彩な方が集まり、いろいろ勉強になります。
 今年の幹事は、私の教え子だったこともあって、「イコンの会」がいっそう身近に感じた年でした。ロシア経済が好調だからなのか、そうでなくても忙しいのか、忘年会には、仕事を終えて、深夜近くなってから参加してくる人も多く、夜遅くまで盛り上がりました。
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 12月4日(土)はロシア語学科の同窓会でした。
 私は上智大学ロシア語学科の卒業生ではありませんから、同窓生ではありませんが、ロシア語学科の現職教員として、毎回、招待されます。ロシア語学科の同窓会は1年おきに開催されていますので、私は、2000年以来、3回めの同窓会ということになると思います。ロシア語学科は、文学部外国語学科ロシア語専攻として1957年に創設されていますから、まもなく50周年になろうしているわけで、第1期の卒業生の方は、私などよりもずっと先輩ということになります。当時は大学自体に男子だけしかいなかった最後の時代だったそうで、女子学生のほうが多い昨今とは、かなり雰囲気が違っていたことでしょう。
 ところで、今年の同窓会は、いつになく若い人が多かったという印象です。卒業したばかりの、あるいは卒業後数年した若い方が集まり、久しぶりにお目にかかって、楽しいひとときを過ごすことができました。
 学科で同窓会があるというのはとてもよいことで、先輩後輩の人間関係は、社会人になってからとてもありがたく思うことが多いものです。もちろん現役の学生さんも、就活のときに社会人となって活躍しておられるロシア語学科の先輩たちを初めて意識することになり、いわゆるOB/OG訪問などでお世話になるということになります。同窓会がしっかりしているということは、本当に素晴らしいことです。現役の学生さんたちは、ぜひ、卒業後も固い絆で結ばれ、協力しあっていって欲しいと思います。
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2004-12-02 推薦入試
 11月27日と28日、推薦入試がありました。
 文字どおり日本全国から受験生が集まりました。私が面接した学生さんでは、北は北海道の函館の高校から、南は九州の大分の高校までいました。
 面接は、教員を2つのグループに分けて実施したので、私が面接しなかった生徒さんもいますが、その私が面接しなかった生徒さんの中に札幌の高校の生徒さんもいました。そんな遠くから、上智のロシア語学科をめざして受験しに来てくれるのですから、本当にありがたいことだなぁと思います。オープンキャンパスに何度も来てくれて、馴染みになった顔もありました。去年のオープンキャンパスに来て握手して帰った生徒さんが、去年の推薦入試や今年の2月の一般入試を受験していなかったので、「あれっ? あの生徒さんはどうしたのかな?」と思っていたのですが、去年は2年生だったのですね。今回の推薦入試に来ていました。
 推薦入試には指定校推薦と公募制推薦の2種類があります。指定校推薦は、あらかじめこちらから生徒を推薦してくれるよう特定の高校にお願いしているものです。他方、公募制推薦は、高校はどこでも構いません。成績など一定の基準以上であれば、どの高校の生徒でも受験することができます。
 ロシア語学科の場合は、推薦で入学してくる学生さんは、動機がはっきりしているためか、入学後の成績は、一般入試の学生さんと比べて、比較的よいようです。もちろん個人差はありますが。
 今年の推薦入試の受験者数は、大学のホームページですでに発表されているように、指定校が3人、公募が19人でした。定員は指定校と公募をあわせて15名となっていますから、何人かは不合格にしなくてはなりません。推薦入試で不合格者を決めるのは、本当につらい作業です。動機もちゃんとあって、受けてくるのですから、できることなら全員合格させたいところなのですが、残根ながら、そうすることはできません。調査書、筆記試験(小論文)、面接を2日間かけて実施して、選抜するのですが、本当につらい作業です。受験生の方には申し上げたのですが、万が一、推薦入試で不合格となっても、ぜひもう一度、一般入試にチャレンジしていただきたいと思います。
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2004-11-23 静岡県立韮山高校での模擬授業
 11月20日(土)、静岡県立韮山高校に招かれて模擬授業をしに行ってきました。
 静岡県立韮山高校は、静岡で一番古い由緒ある伝統校ということで、私も、名前は以前から知っていましたが、韮山高校に行ったのは今回が初めてでした。韮山は、JR東海道線三島駅から、私鉄に乗り換えて伊豆の修善寺に向かって20分ほど行ったところにあります。
 事前に、どのような感じで模擬授業をやるのか、具体的なイメージがつかめなかったので、パワポでプレゼンの準備をして行ったのですが、模擬授業をやったのは、普通の教室でしたので、もう少し双方向的な授業をすればよかったかなと思いました。実際、予定として組まれていた質問会に出てきた生徒さんも、医学部の先生と法学部の先生にそれぞれ一人ずつくらいらしく、やはり模擬授業の時間中に、生徒とのやりとりをする時間を作るべきだったと、反省しきりです。
 生徒さんのほうにも、せっかく東京などからたくさんの大学の教員が来ているので、もっと積極的に質問などをして欲しいと言いたい気持ちもありますが、やはり模擬授業のやり方、とくに使用教室、同時に20人近くの大学教員が授業を実施するということについて(私は、たくさんの模擬授業があるのは書類を見てわかりましたが、同じ日に実施するのだとは思ってもみませんでした)の事前の具体的な情報がもう少し与えられていて、授業のやり方を双方向的に組んで置けばよかったし、また質問会が授業のすぐあとではなくて、昼休みを挟んだあとになっているというプログラムの組み方がよいのかどうか、高校のほうで検討していただく余地があるかなと感じました。
 私の正直な感想は、もっと高校生のみなさんと話をしたかったということですね。またこんど、こういう機会があったら、高校生と話をするということを心がけて、授業プランをつくりたいと思います。
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2004-11-23 就職懇談会
 11月17日(水)、2004年度ロシア語学科第2回就職懇談会がありました。概要は、学科のホームページに掲載しましたので(*1)、そちらを見ていただくことにして、ここでは、少しばかり個人的な感想を書きますね。
 (*1)上智大学ロシア語学科公式ホームページでは、掲載記事は、一定期間経過後は削除されますので、現在は閲覧することが出来ません。ご了承ください。
 この秋の就職懇談会は、就活を終えたばかりの4年生が、3年生に向けて体験談を話してもらうという趣旨で実施しているものです。したがって、話をしている側もまだ学生であって、社会人ではないわけですが、それでも、いつも思うことですが、就活は、確実に学生を成長させますね。しかし、それでも実際に就職した卒業生が話をしてくれる春の就職懇談会とは、やはり違います。当然のことですが、4年生は、まだ学生なわけですし。
 ロシア語学科は、上級生が下級生の前で何か話をするという機会がほとんどないので、オリキャンのヘルパーとか、就職懇談会とかが、そうした数少ない機会となっています。
 オリキャンは、入学式を終えたばかりの新入生が対象ですから、下級生といっても、その下級生自身が上智大生になりきっていないので、その意味では、上級生が下級生に話をするというおおやけの機会は、この就職懇談会が唯一の機会なのでしょうか。
 聞いている3年生が、やはり就活を終えた4年生はすごいなぁあ、という感想を持った報告もあったと思います。パワポを使ったYくんの報告もよかったし、Sくんのペットボトルを使った例え話も、なかなかのものでしたね。
 そのあとの、恒例のお食事会も楽しかったですね。報告をしなかった4年生もいっぱい集まってくれて、久しぶりに盛り上がりました。4年生のみなさん、ご苦労様でした。
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2004-11-23 恒例? お食事会
 11月13日(土)、99の卒業生のHAさんとTIさんとのあいだで恒例化?しつつあるお食事会をニコタマのチュニジア料理のレストランで挙行しました。ちなみに、99の卒業生とは、1999年に入学して、学生番号が99で始まっている人たちのことです。
 相変わらず超多忙なTIさんは、ロシアの取引先に電話をしなくちゃいけないとかで、1時間遅れるとの知らせ。ロシア側と何かトラブルでもあったのでしょうか。
 ということで、HAさんと、とりあえずレストランへ行くことにしました。ニコタマは久しぶりで、駅の改札口を出たところの雰囲気が、少し変わった感じがしました。高島屋は、クリスマスのイルミネーションで、きれいでした。
 HAさんと、ひとしきり99の卒業生たちの最近の動向などについて、情報交換をします。99生の多くは卒業して、はや1年7ヶ月。起業しちゃった人の話も出ました。ロシアとのあいだでのビジネスですが、成功するといいですね。
 しばらくすると、TIさんがやってきました。TIさんが仕事を辞めたいと言っていると別の99生が言っていたので、そうなの?と水を向けると、ぜんぜん、との返事で、どうやら、その話はグチが少し大げさな話になったような感じですね。しかし、この恒例化しつつあるお食事会の日程調整には、いつもTIさんが一番苦労しているし、TIさんが仕事で遅れてくることも多いということは、やはりTIさんの仕事は大変そうです。そもそも、土曜日にしたのは、多分、TIさんとの日程の調整が平日はつかなかったためだろうと思うのですが、その土曜日にも、約束の時間に遅刻してくるほど仕事をしているのですから、やはり大変なのは間違いありませんね。グチの一つや二つ、言いたくなるのは当然だし、弱音だって吐きたくなる。元教師の私の前では、気丈なTIさんは弱音を吐けないのかも知れませんね。
 この3人のメンツでお食事会を始めたのは、多分、2000年頃で、まだそのときは、この2人は2年生でしたかね。焼き肉を食べたいというリクエストで、新宿のモランボンに連れて行ったのが最初だったと記憶しています。そのときから、しっかり者に見えたTIさんは、思えば、私の前ではずうっとしっかり者を演じてきただけなのかも知れません。確かにしっかりしているのだけれど、人は、いつもいつも、そうなわけではないと思います。サンクト・ペテルブルクでも、この3人で食事して遅くなったとき、TIさんは「一人で帰れる」と言って、さっさと帰ってしまい、私はHAさんを送っていったのですが、思えば夜道が危ないのはどちらも同じなのに。
 二次会は、サンチャの小さなカフェバー「クラリス」。サンチャは、ニコタマから新玉川線(田園都市線)で渋谷に向かって急行なら1駅、各駅停車でも4つめです。ぐるぐると回る非常階段のような外階段を上がってたどり着く「クラリス」は本当に久しぶり。5年ぶりくらいでしょうか。一頃は、この店によく通いました。あのやさしいバーテンのお兄さんも、すっかりやさしいおじさんに変わっていました。落ち着いたお店の雰囲気も、流れるJAZZのけだるさも、カクテルの冷たさも、料理のおいしさも、相変わらず。今度は、中東あたりの国の料理でも食べに行きましょうか。
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2004-11-03 退職、転職、就職
 10月29日(金)、2003年3月にロシア語学科を卒業した卒業生と、六本木のバイカルで食事をしました。メールのやりとりはしているものの、会ったのは、卒業後の2003年6月頃の就職懇談会に来てくれて以来でしょうか。1年ぶり以上ですね。久々にあったのは、勤めを辞めたというメールをもらったからで、久しぶりに食事でもしながら話そうかということになったのです。
 他人から見ると、立派な会社に就職したように見えたのですが、内部ではいろいろあって、人の出入りも激しく、あまりよい職場ではなかったようです。直接のきっかけは、直上の上司が交代したのだけれど、新しい上司が、尊敬していたそれまでの上司と違って、仕事のスタイルがまったく違っていて、部下から見ていても、「こんなんでいいの?」という状況になったことらしいです。
 希望していた業界に就職したものの、やはり学生のときとは勝手が違い、いろいろとまどいもあったようですが、時間に不規則な職場でもあり、その上、居心地がよくないということになれば、辞めたいと考えるようになるのは、仕方ないことなのかも知れません。
 「いったん就職したら、辞めるな」などと言える立場にはないし、自分自身の転職経験から言っても、職業生活の中で経験を積み重ね、次のステップへつなげるという考え方を持つべきだと思います。その意味では、転職は、次のステップへと進む第一歩とも言えるのです。辞めた会社で、それでもよい経験を積み重ねることができたのなら、よかったのではないかなと、話をしながら思いました。
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 私が以前勤めていた研究所で、研究助手をしていたSさんが、この10月末で退職しました。1994年4月に研究所に来られたので、10年あまり勤めたことになります。私は6年ほど、一緒に仕事をしましたが、ほんとうによく仕事をしてくださったし、一緒に仕事をしていて楽しかったし、今でも感謝しています。多くの人が残念がっているようです。
 Sさんがいて、はじめてロシア研究センターが回っていくというような方でした。調査研究や出版活動の縮小という研究所幹部の方針の中で、定期購読していたロシアの新聞や雑誌をカットし、保管していたものは、譲渡したり処分したりし、そうした中で、研究所はついに貴重な人材まで失うことになりました。
 Sさんが貴重な人材であるということも、ロシアの資料や書籍が大切だということも、『ロシア研究』という雑誌を発行し続けていくことがとても重要だということも、研究所の幹部が十分に理解していないのは、とても残念なことです。
 そもそも研究ということについてほとんど何も知らないし経験もない人が、元大使だとか言うだけで理事長というポストに、また、たんに人事異動で数年間だけ研究所に勤務するというかたちで現職の外務官僚が所長というポストに就いていたりするわけですから、研究所がうまくいくわけはありません。
 防衛研究所や日本国際問題研究所に勤務していたとき、官僚と研究者とのあいだには、越えることのできない深い溝があると感じていました。それでも、防衛庁は、私の勤務していた防衛研究所のほか、技術研究本部の傘下に技術研究所をいくつも持っており、また防衛大や防衛医大などを始めとして教育機関も持っているため、研究というものの重要性や専門性について、防衛官僚がそれなりの理解を持っていたように思います。しかし、外務省には、研修所や外交資料館はあるものの、研究機関や教育機関がないためなのか、外務官僚は、研究ということについて、十分には理解していないように思いました。また外国の研究についても、語学ができれば研究ができると錯覚しているようなところもあり、現場で外交に従事することと、外交とか外国を研究することとの違いについて、よくわかっていない人が多いようにも感じました。
 そうした状況の中で、研究について幹部の理解を求め、研究所を現場で支えていくのは、大変なことだったと思いま  Sさんが『ロシア研究』第36号を出すところまで、我慢して頑張ってこられたこと、本当に大変だったと思います。Sさんの書棚にも、ご自身が出版にかかわった20冊ほどの『ロシア研究』が並んでいることでしょう。Sさんは、それだけの仕事を積み重ねてきたのです。本当にお疲れさまでした。
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2004-10-07 日記再開!
 ごめんなさいm(_ _)m 2ヵ月のあいだ、日記を書かずにいました。トップページに書いたとおり、いろいろな方に、「どうしたのか」と、お叱りやら、ご心配をいただいたのですが、夏休み中に一緒に勉強していた学生さんは知っていますが、ずーっと日本にいて、元気でした。それでは、なぜホームページの更新をしなかったのかというと、これもトップページに書いたとおり、本の執筆に没頭していたためです。ひょっとしたら2ヵ月間の努力は水泡に帰すかも知れないので(-_-;)どんな本かは、内緒です。研究書ではありません。ロシアネタでもありません。めでたく出版されることになったら、あらためてご報告というか、宣伝!させていただきます。
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 このホームページは、Yahoo! ジオシティーズ という無料サーバーを使用して作成しているのですが、10月5日から、新しいサーバーに移行し、システムも変更されるというメールが9月末に突然来て、今日、ようやく移行作業をしました。旧アドレスも生きているのですが、カウンターデザインが一方的に変更されていて、しかも数字もリセットされていたので、まったく同じつくりですが、新アドレスのページに移動していただければ幸いです。
 メールアドレスやホームページのアドレスは、自分の名前と同じように大切なものなので、他人の都合で変えたくはないのですが、こういうことになってしまいました。
 ちなみにホームページでも公開している私のメールアドレスは、もう5年くらいは使い続けていて、プロバイダーは大手のKDDIなのですが、そもそもKDDIじたいが、2000年10月にKDD(国際電電)とIDO(移動通信)とDDI(第二電電)が合併してできた会社なので、その合併時に、メールアドレスの変更を求められたのですが、メールボックスの容量が小さいとか、ホームページ用サーバーの無料サービスが利用できないとかのサービスの制約はあるものの旧アドレスを使い続けるというオプションもあったので、多少の不便を覚悟で、古いメールアドレスを使い続けています。
 ホームページの話に戻りますが、新しいサーバーのシステムでは、ポップアップ広告が出るのがうっとうしいのですが、無料なので仕方ありません。古いシステムでもバナー広告が出たのですが、ページの下の方に移動させておくワザが使えたので、Yahoo! には申し訳なかったのですが、広告を目立たないようにしておくことができました。Yahoo! も、当然、私のように広告を目立たないようにしてしまうワザを使えないようにした新しいシステムを開発したようです。
 実は、自宅で契約しているケーブルテレビ会社とのあいだでもプロバイダー契約を締結していて、そちらのサーバーか、あるいは大学のサーバーを利用すれば、広告のないホームページを作れるのですが、ホームページを作り始めたときのアドレスを変えたくないばかりに、広告のないケーブルテレビ会社や大学のサーバーに移行せずに、Yahoo! を使い続けてきたのです。ところが、今回、Yahoo! がサーバーを移行させるということで、ホームページのアドレスが変わってしまいました。トップページにも書いたように、旧アドレスも生きていることと、新アドレスと旧アドレスとを似せることができたので、とりあえず、Yahoo! を使い続けることにしました。ただ、新アドレスを、似たアドレスにせずに、これまでとまったく違うアドレスにしたほうがよかったのかなという気持ちも少しはあります。似ていると、変わったことが意識されないので、かえってよくないのかなと思うのです。そこで、トップページに、アドレスが実は変更になったことを目立つようお知らせした次第です。
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 さて、この夏休み中、いろいろなことがありましたが、社会的な出来事で最も衝撃的だったのは、北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件でした。悲しい、とだけしか言えません。カフカースの歴史を少しでも勉強すると、ただテロリストたちを非難すればよいというわけではないことがわかってくるし、他方、ロシア政治について勉強していると、プーチンをただ批判すればいいという感じにもなりません。非難や共感は、研究とは別の次元のことだと私は考えています。
 このような事件が起こるたびに、いつも同じようなことを思います。自分はどのように、このような事件が起こるこの社会と関わっていったらよいのかということをです。
 以前にも書いたのですが、21世紀がこんな世紀になるなんて、20世紀の終わり頃、1990年頃ですが、ちょうどモスクワで暮らしていた頃には、思いもよりませんでした。当時、ロシアの民主化をそれほど楽観視していたわけではありませんが、冷戦が終わり、ロシアもある程度は民主化して、世界は平和に向かって、前進してるのかなぁと何となく考えていたのですが、ちょっと甘かったですね。
 波紋を呼んだロシア語学科の研修旅行の中止の理由の一つは、航空機に関連するテロが起こることでの研修旅行のグループの移動に遅延が生じることを心配したことだったのですが、8月24日、実際に2機の飛行機が墜落するという事件がロシアで起こって、本当に、驚きました。その前後の一連の爆弾テロの一つ、8月30日の爆弾テロ事件は、私がモスクワに住んでいたときに、毎日のように利用していた地下鉄リガ駅の出口のところで起きました。この事件を報ずるニュースが、懐かしい地下鉄リガ駅付近の映像を流していたこともあり、一連の事件はとても人ごととは思えません。
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 2ヵ月も日記を書かなかったために、書くことはたくさんたまっているのですが、まずはオープンキャンパスのことから。
 オープンキャンパス、今年は、昨年よりも1回多く、合計3回開催されました。来場者数は、7月29日(木)が4,610名、7月30日(金)が4,955名、9月25日(土)が3,473名で、合計12,038名となりますので、昨年の11,733名に比べて、305名多かったということになります。
 ロシア語学科の教員のところに相談に来た高校生の方は3日間合計で約60名ほど、またロシア語学科の学生コーナーを訪れた高校生もだいたい同じくらいの数だったようです。また7月30日に行われたロシア語学科の体験授業には、約70名くらいの高校生の方が出席したようです。
 私は、教員の相談コーナーに半日詰めていたほか、ほかの日も仕事の合間に、学生コーナーのところに行って高校生の方と話したりしていました。毎年のことですが、ロシア語学科の教員相談コーナーや学生コーナーに話を聞きに来る高校生の方は、みなさんとても熱心ですね。オープンキャンパスは、大学教員が高校生と話のできる貴重な機会なので、こちらとしても、毎年とても楽しみだし、参考になります。
 教員相談コーナーで大学の先生と話をするのはやはり緊張するのでしょうか、話を聞きに来たそうな感じなのだけれど、遠慮していて、なかなか相談コーナーのイスに座らない高校生の方がいます。もっと気楽な気持ちで、どんどん聞いて欲しいと思います。ロシア語勉強して役に立つの?とか、どんなところに就職するの?とか、ロシアは危なくない?とか、聞きたいことはたくさんあるんじゃないかなぁ。
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 次の話題は、受験の話です。
 毎年、ロシア語学科から大学院に進学する学生さんが何人かいます。進学先は上智大学の大学院のほかにも、北海道大学とか、一橋大学とか、東京外国語大学とか、いろいろです。
 やはり今年も大学院進学希望の学生さんがいて、そのうちの一人の学生さんと一緒に、去年の12月くらいから、英語の勉強を一緒にやってきました。私自身も、これまであまり詳しく勉強していなかった19世紀北カフカース史に関する英語文献を読んできましたが、それが直接に大学院入試の対策になったのかどうかは必ずしも明確にはわかりません。しかし、英語の学術文献を読む力がついてきたことは間違いないでしょう。もちろん受験勉強は自分でしなければなりません。受験について直接に教師が協力できることは限られています。一緒に勉強してきたことで、学生さんの英語力や根気が培われたとは思いますが、むしろ、落ち込んでいるときに励ましたり、試験前の緊張した気持ちを和らげたりすることのほうが、役だったかも知れません。
 もう一人の学生さんは、卒論の指導をしてきていたので、学生さんが願書とともに提出しなければならない研究計画書を書く場合に必要な今後の研究の方向性を定めるのに少しは役だったのかなと思います。
 二人とも見事に合格して、本当によかったです。
 でも、この夏、希望をかなえることもできなかった学生さんもいます。
 就職でも進学でも、試験であれ面接であれ、何かちょっとしたことで、合不合が分かれてしまうことがあります。公務員試験に向けて長いあいだ努力をしてきたのに、不合格となってしまった学生さんがいるのですが、一緒にロシア語を読んで勉強してきたので、本当に残念です。でも、その努力は無駄ではなく、遅まきながら始めた就活で、公務員試験のための勉強がとても役立ったようです。素晴らしい学生さんなので、公務員試験をなんで落とされたのかなと思っていましたが、就職の面接では、すごく評価してくれたとのことで、やはりわかる人にはわかるんだなと思いました。
 こうして、悲喜こもごも、4年生は、あと半年で卒業ですね。本当にはやいものです。残りの半年、充実した時間を過ごしてください。
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2004-07-12 日記というより月記になってしまっていますが・・・
 就職懇談会がありました。
 教員の会議日程の都合で、上半期最終月最終日という、業種によってはものすごく忙しい日になってしまって、OG/OBの方には、ホント申し訳なかったのですが、それでも、早めに仕事を切り上げて来てくださった卒業生5人の方、本当にありがとうございました。これから就活をはじめる3年次生にとっては、とても刺激になったし、参考になったと思います。
 当たり前のことですが、やっぱり学生にとって、卒業後の進路の問題はとても重要であると思います。大学の基本は、あくまでも学問をするところであって、職業訓練所でもないし、就職斡旋所でもありませんが、しかし、学生を一人前に育てて社会に送り出していくという大学の役割から考えると、大学が職業訓練所や就職斡旋所の機能も担っていかなければならないのは当然であると思います。
 大学では、どのうように学問の研究と教育を行っていくかということが最も重要なことですが、学生一人一人の立場に立って考えると、大学で学んでいくことが、そのまま社会へ出ていくこと(大学院などに進学すること)に結びついていくことが必要で、そのためにも、ロシア語学科として学生の就職や進学について、配慮していかなけれならないと思います。
 学生一人一人が自分自身を見つめ、社会にどのように貢献していけるのかを考え、そしてそれを実現することを手助けしていくこと、そのことによってより多くの学生が自分自身の夢や希望を叶えることができるようになること、これが私たち教員の望みでもあります。もちろん、ロシアやロシア語に興味を持つ高校生が少しでも増えれば、ロシア語学科の受験生は増えるのでしょうが、やはりロシア語学科に入ってロシア語やロシアについて勉強して、その結果として社会に貢献できるということが、ロシア語学科の卒業生の進路を見ることで、よりはっきりと理解されていくことが、ロシア語学科に入学しようという学生のさらなる増加につながると思います。
 ロシア語を勉強してどうするの? 役に立つの? こうした疑問に答えていくためにも、ロシア語学科は、こういう学生をたくさん送り出していますということを、お知らせしていかなければならないと思います。たとえば国家公務員Ⅰ種試験や司法試験に、何人合格させています、というのが法学部のウリであるとすると、じゃあ、ロシア語学科のウリは何なんでしょうか?
 でも、医学部などは別として、普通の学部や学科は、法学部や経済学部であれ、あるいはロシア語学科であれ、普通の就職をする学生が圧倒的に多数派なわけですし、それでも○○学部(学科)卒という個性を発揮しつつ、社会に出ていくとしたら、やっぱりロシア語学科のウリは、ロシア語を学んで、こんなふうに社会に貢献しているよということを、示していくことなのではないかと思います。
 ロシア語通訳者とか、外務省の専門職とか、そういう仕事をしている人だけが、ロシア語学科にとって大事なわけではないわけで、一般の企業で活躍している卒業生がたくさんいること(ロシア担当でない人も含めて)が、やっぱりウリなんだと思います。
 このことを勉強という面で教員の側から見てみると、ロシア語さえできればそれでいい学生なのかという問題となります。はっきり言って、大事なのは、ちゃんと話ができるとか、レポート(日本語の)をしっかり書けるとか、あいさつができるとか、相手の立場に立って考えることができるとか、思いやりがあるとか、そういう、ロシア語学科の学生である前にちゃんとした学生、ちゃんとした大人になっていくことだと思うのです。
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 話は変わりますけど、ロシア語学科のホームページ、全面リニューアルしました(*1)。春休み中にシコシコつくっていたんだけれど、ホームページの改訂については事務的にいろいろなことがあって、アップロードが7月になってしまいました。明るいブルー系で統一して、すっきりしたデザインにしたんですけど、このホームページのデザインと似ているのは、このホームページのデザインを利用したからなわけで、ま、そうそう、いろんなデザインのホームページを作れるほど才能があるわけでもないので、勘弁してください。
 (*1)2004年当時の私が手作りしていた上智大学ロシア語学科公式ホームページの話です。
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 ところで、学科がやってきた語学研修を今年から中止したことについて、2年生には説明資料を配布したんですけど、やはり真意がなかなか伝わっていなくて、確かに中止になったのはとても残念だし、申し訳なく思いますけど、最大の理由は、教員がいやになってしまったことでもないし、ロシアの治安がすごく悪いということでもないということを理解していただきたいと思います。
 最も重要なのは、これまでの語学研修が、大学の公式の行事ではなく、ロシア語学科の教員が基本的には私的なボランティアとしてやっている(交通費・宿泊費は無料ですが、出張手当・超過勤務手当もいっさいなしです)ために、どこか(ロシア以外のところでも同じ)航空機が飛ばなくなるとかということがあって、帰国が大幅に遅れるとか、あるいは逆に日程を短縮するとか、そういうことが起こった場合の対処がほとんどできないということと、教員の側はボランティアであるにもかかわらず、そして日本から教員が引率してくるということを前提にしているにもかかわらず(つまり教員がツアコン役)、費用がかなり割高になってしまっていることです。そして5月10日に語学研修の説明会を実施したあとで中止したことからも明らかなように、中止の最大の要因は、上記の2つのうちの費用の問題、つまり説明会後に、ロシア側から届いた費用見積もり書に提示されていた金額です。
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 私が語学研修に引率したのは2001年のことで、そのときの学生は2000年4月に入学してきた、いわゆる00生です。そのときロシアに一緒に行った00生のほとんどは、今年の3月に卒業していきました。卒業を前にして彼らと話したのは、やっぱり語学研修のときに、一緒に買い物に行ったり、バレエを見に行ったり、おいしいケーキ屋さんに食べに行ったりした楽しかった思いででした。
 でも、ちょうどみんなとペテルブルクにいた、研修中に、2001年の9月11日があったんですよね。あの日の夕方、ロシア人の学生から「アメリカのニューヨークで飛行機が墜落してビルに激突したらしい」と聞いたときは、とっさに小型飛行機の事故かと思ったのですが、テレビを見たら、ジャンボジェットが高層ビルに激突している、しかも2機も続いて。ボー然としました。テレビのニュースを見て、翌日の新聞を読んで、大規模なテロであることがわかって衝撃を受けました。
 ロシア語学科の学生とはいえ、まだロシア語を勉強し始めて1年少しですから、ロシアのテレビ・ニュースや新聞をそれほどは理解できないのが当然なので、翌日の朝食のときに、早起きして買ってきたばかりの新聞の写真を見せながら、事件の説明をしたことを今でもはっきりと覚えています。あのとき、ロシアやヨーロッパでは何事も起こらなかったので、本当によかったです。一緒に行った学生は、くたびれちゃった人はいましたが、とりたてて事故や病気もなく、みな元気で帰国しました。
 21世紀こそ平和な世紀にしたいと思っていたのですが、残念ながら、その気配はありません。
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2004-06-13 何か気ぜわしい毎日
 今年は1月早々から、大学の仕事のほかに、『ロシアを知る辞典』に書いた原稿の校正と、選挙関係の新情報の追加、さらに日本国際問題研究所の報告書の原稿、『現代ロシア法』の書評、『アクセス地域研究』の原稿の校正、『国際問題』6月号に掲載する原稿と、次々に締め切りのある仕事に追われていて、確かに、ちょっと忙しかったことは事実です。でも、書こうと思えば、ちょっとした合間にこの日記を書くこともできたのかもしれませんが、オリキャンのことを書いてからは、なぜか、この日記からちょっと遠ざかってしまいました。
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 オリキャンといえば、新1年生。1年生も、もうすっかり大学の生活に慣れて、毎日、元気にやっているみたいですね。ついこの前、1年生は初めてのドリルの試験があって、大変だったですね。試験が、上南戦(姉妹校の南山大学との対校戦。いろんな競技があって、体育会系のクラブはメインの行事です)の直後に実施されたので、上南戦に関わっていた学生たちは、ちょっと厳しかったと思いますが、日頃の勉強でちゃんとやってきた人は、それなりにできたと思います。とはいえ、やはり、初めての試験で、日頃の勉強不足や準備不足のせいで悲惨な結果になってしまった人も少なくないようです。結果が思わしくなかった学生さんも、まだまだこれから巻き返しは十分できるのでがんばってほしいと思います。
 1年生向け授業「ロシア地域研究入門」は、どんな感じなんでしょうかね。まあ、授業の性格上、一方的にこっちから話をするだけという感じになってしまうことが多いので、なんだかなぁ、とやっている方も、実は感じています。ビジュアル資料を使うとか工夫はしているのですが、やはり、一方通行のやり方を変える工夫も必要かなと、思うのですが、これがなかなか難しい。毎日ある必修ロシア語の学習に追われているみんなに、自主的学習を必要とするような問題提起型授業をするのはつらいかなと思って、つい知識を与えるという感じの授業になってしまうんですね。まあ、何か、おもしろいなと感じることが少しでもあればいいかな、という控えめな気持ちでやっています。
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 昨日、「地域懇談会」がありました。「地域懇談会」というのは、高校までは一般に保護者会と言っているものです。大学生にもなって、保護者会でもないだろうということで、「地域懇談会」と称しているのだと思います。実際、大学では、この「地域懇談会」にお呼びしているのは、学生の保護者ではなくて保証人となっているようです。
 で、「地域懇談会」の学科別集会にいらしていただいた方は、1年生と2年生のご両親あるいはお母様がほとんどで、残念ながら、3年生以上では、3年生のお母様がお一方だけでした。「いったい、うちの子は、どんな学校で、どんなことを、どんな先生に習っているのだろう」と思って、いらしてくださるのだろうと思います。「地域懇談会」でそうした疑問は解消したでしょうか? 少しでも解消できたら、よかったと思います。とはいえ、「地域懇談会」の目的や意義ということについて、学科でさらに検討を重ねて、せっかくの機会ですので、さらに有意義なものにしたいなと思いました。
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 学部のゼミの食事会、大学院のゼミの食事会、そのあいだに、OGとの食事会もあったりして、気ぜわしいと言いつつ、結構、5月から6月はじめにかけて会食の機会がありました。教員同士も、このところ、ちょくちょく飲みに行く機会がありました。
 実は私は、コンパと称して、大人数で居酒屋などで飲み会をして騒ぐのはあまり好きではありません。少人数の学生と一緒に、スタイリッシュな(!?)お店で食事をしたり飲んだりするのが好きです。うちに集まって食事をしたり飲んだりするのも好きです。うちは、当然、居酒屋のように大きくはないので、大人数にはなりません(詰め込めば20人くらいは何とかなるかもしれませんが)。スタイリッシュなお店で、と言いつつ、決してスタイリッシュではない六本木の「バイカル」には、相変わらず通っています。 店の作りも料理もお店の人も客もすべてが限りなくロシアに近いというところが、私を引きつける理由です。もう少し安ければなぁと思いつつ、毎月のようにバイカルに行っているような気がします。
 ところで、昨日、「地域懇談会」のあと、何人かの教員と行った四谷のおそばやさん「瓢たん」はなかなかスタイリッシュなおそばやさんでした。とても静かでよかったのですが、土曜日だったからかもしれませんね。こんど平日に行って、それでも静かな雰囲気だったら、なんだか通いつめそうな気がします。
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2004-04-06 オリエンテーションキャンプ
 4日、5日とオリエンテーションキャンプで、新入生と一緒に富士箱根ランドのホテルに行って来ました。箱根の山の中なのでかなり寒かったです。濃い霧も出ていました。新入生の中には、オリエンテーションキャンプを、まさにテントを張って飯ごう炊さんするキャンプだと勘違いしていた学生さんもいたかもしれませんが、入学式のあとの学科集会で、そうではないという話をしたので、そんな誤解はなかったと思いますが、山の上に行ったことは確かでした。でも、もちろんキャンプファイアーなどはしません。
 オリエンテーションキャンプでは、新入生に対してカリキュラムや履修登録などの説明をしたりすることが中心ですが、それ以外に、教員と学生さんの自己紹介、親睦を兼ねたちょっとしたレクリエーションなども行われます。お菓子を食べたりしながら、深夜の午前2時頃まで、学生さんと話をしていました。教職をとると張り切っている学生さんもいました。ぜひがんばってほしいと思います。いろいろな学生さんと話をしましたが、それでも61人の学生さん全員と話ができたわけではありません。話をしなかった学生さんとは、また別の機会に話がしたいと思います。
 毎年、オリキャンのときに、学生さんの名前を覚えようとするのですが、なかなか覚えられません。もちろんもう名前を覚えた学生さんもいるのですが、まだ名前を覚えていない学生さんの方が多いかも知れません。こんどは授業で会うことになりますね。よろしくお願いします!
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2004-04-01 出会いと別れ
 今日は入学式。1年はアッという間に過ぎて、また新しい出会いの季節です。でも、上智大学は、推薦入試にせよ、一般入試にせよ、面接があるので、もうみんな知った顔なんですね。入学式の日に、もう、こんにちわ、って微笑みながら新入生の方とあいさつできるっていうのも、面接があるおかげです。中には、オープン・キャンパスとかに来てくれて、入試の前に話をしている学生さんもいます。そんな学生さんたちと、入学試験をくぐり抜けて、あらためてキャンパスで出会うのは、とても楽しいことです。みんな、なんだか顔が輝いて見えます。 ******************************************************************************************
 昨日は、3月31日。こんな日に、思いもかけない学生さんに研究室の前の廊下で会いました。大学院生の方で、この春、上智の大学院から別の大学院に移られる方が、あいさつに見えたのです。いろいろお世話になりました、って言われると、何もできなかったですけど、と照れてしまいます。いえ、授業、とても楽しかったです、と言われて、お世辞でも、やはり嬉しいものです。でも、本当に嬉しかったのは、わざわざ、あいさつに来てくれたことです。
 この大学院生の方は、学部生のときはロシア語学科ではなかったので、ほんとうに博士前期課程の週1回の授業を1年間ご一緒しただけなのに、お礼を言われるとは思っても見ませんでした。とてもありがたいことだと思います。新しい出会いがあり、そしてまた別れがあるのですが、そうやって、こんにちわ、とか、お世話になりました、とか、微笑みながら言葉を交わしていると、本当に心が温かくなっていくような、そんな心持ちがします。 ******************************************************************************************
 どんどん日付がさかのぼっていくのですが、3月27日、ちょうど1年前にロシア語学科を卒業した「もと学生」さんたちと、その「もと学生」さんと同じ学年だったのですが、ロシアに留学したために1年遅れてこの3月に卒業する学生さんが、うちに来ました。この3月に卒業する学生さんは、3月23日の卒業式でお別れしたばかりですが、社会人になるまであと数日という貴重な学生時代最後の瞬間に、うちを訪ねてきてくれたわけです。
 おいしいシャンパンやワインをけっこうたくさん飲んで、それからカードゲームの「ナポレオン」をやったりして遊びました。当日集まった口実は「花見」だったのですが、桜はまだ5分咲きという感じで、ありがちですが、なんだか花よりお酒という感じだったですね。こんどはポルトガル料理に行こうという話でもりあがっています。こうして、入学、卒業が、毎年繰り返され、新しい出会いがあり、別れがあるのですが、別れといっても、また、その後のおつきあいが続きます。やはり、同じ大学で時間を共有するということは、すごいことなんですね。 ******************************************************************************************
 今日の入学式の話に戻りますが、学科別集会のときに、新入生のご家族の方がたくさんいらしてくださいました。わざわざ来ていただいたのに、時間が少ないために、あまりたいした話もできなくて、申し訳ないなぁと思いながら、話していました。勉強のこと、留学のこと、就職のこと、もっといろいろお話ししたいことはあるのですが、事務的な連絡も多く、ゆっくりお話しができませんでした。お配りした学科便覧を、じっくり御覧になっていただければ、と思います。でも、短い時間でしたが、学科の雰囲気は、ご理解いただけたのではないかなぁと思います。
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2004-03-25 卒業の季節
 3月23日、卒業式(上智大学では学位授与式と言っています)がありました。
 午前中、東京フォーラムで、全学の学位授与式があり、博士の学位を取得した方と、修士以下と学部生の場合は、各学科・研究科専攻の総代の学生さんが卒業証書(上智大学では学位記と言っています)を受領しました。ロシア語学科の教員会議で決めた学科の成績優秀者の総代の学生さんが、無事、学位記を受け取るのを見届けて、四ッ谷に戻ってきました。
 午後からは、四ッ谷キャンパスで、各学科・専攻ごとの学位授与式があり、ここでは、全員ひとりひとりに学位記が手渡されます。ロシア語学科の学生さんにも、もちろん、ひとりひとり、手渡しました。当然のことですが、みな、明るく晴れがましい笑顔でした。学科長の挨拶をしましたが、その前の学位記の授与のときに、花粉症で口呼吸になっていたところに、ひとりひとりの名前を呼びながら学位記を手渡していたため、口の中が乾いてきていて、学科長挨拶のときには、舌がなめらかに動かず、ちょっと話すのに苦労しました。
 学科長挨拶では大したことは話しませんでしたが、与えられた状況のなかで最善を尽くすこと、毎日の仕事は次の段階への一つのステップであると考えるべきこと、自分の能力で楽に終えることのできない仕事、つまりめいっぱいの状態でどうにかこうにかやり遂げられる仕事を与えられ、それを苦労してこなすと、次にはさらにレベルの高い仕事が与えられ、それをまたぎりぎりの状態で苦労してようやくこなしていくということの繰り返しで成長があるのだということ、そんなことを話しました。
 そのあと、学科の専任教員と事務の方が、一言ずつあいさつをしました。 教員の側に話しているうちに涙ぐむ先生がいたりして、なんとなく教室全体に感動ムードがひろがりました。ご家族の方も何組かお見えになっていて、「お世話になりました」とあいさつをされたりしましたが、それほどのこともしていないので、お礼を言われて、かえって何か申し訳なく思ったりします。
 さて、さらに申し訳なく思うのは、学生さんが謝恩会をしてくださることです。1年前にも書きましたが、ほんとうに、このときほど教師をやっていて本当によかったと思うことはありません。謝恩会のときには、これまであまり話をする機会のなかった学生さんとも話ができて、このこともとてもよかったと思います。ただ、会場や食事のために相当の費用がかかると思いますので、ありがたいのですが、本当に申し訳なく思います。ご卒業おめでとうございます。そして謝恩会、ありがとうございます。2次会は、新宿の居酒屋さんにセッティングされていて、全員が参加したわけではなかったのですが、これも楽しかったです。そのあとの3次会は、私が行きつけの、というかたまに行くジャズバーにお連れしました。 静かで気に入っているお店です。お勤め帰りなどに親しい方とご利用ください、と宣伝してしまいました。
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2004-03-24 久しぶりに学生さんが遊びに来ました
 桜の季節というのに寒い日が続いています。
 21日(日)、この春に卒業する4年生と1年生がうちに遊びに来ました。もともとはゼミの打ち上げがメインだったのですが、娘の受験があって、1月や2月は家に人を呼べなかったので、この時期になってしまい、この時期だと3年生は就活まっさかりで、3年生は結局どの学生も残念ながら都合がつかず、来ることができませんでした。
 家内はいつものボルシチをつくり、小生はパスタをつくり、あとはサラダ、オードブルとドリンクという簡単なものです。久しぶりに我が家に学生さんが来て楽しい時間を過ごしました。1年生は4人だけでしたが、卒業間近の4年生の話は、いろいろ参考になったようです。あとは、我が家では、当然、ロシアが身近な存在で、ロシアのテレビが見れたり、ホフロマ塗りの器やグジェリのカップが、ふだんづかいされているので、それも、実地のロシア文化入門編になったかも知れません。この日に来れなかった方は、またの機会にぜひ来てください。
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2004-03-11 それぞれの第一歩(その2)
 実は、今日は、とてもよい知らせがありました。そのことを書きたくて、今日は、Diaryのページを開いたのです。
 2001年の春、やはり期待と不安が入り混じった気持ちで入学式を迎え、ロシア語学科に入学した、ある学生がいました。その学生は、はたから見ている限り、大学生活をそれなりに楽しんでいたように見えましたが、ロシア語の成績はかんばしくありませんでした。結局、この学生は、1年生の必修ロシア語を落としてしまい、入学してほぼ1年後の2002年の春、留年が決まってしまいました。2002年4月、この学生は必修ロシア語については、再スタートを切ったわけです。ところが、2度目の1年生向け必修ロシア語の成績も、かんばしくありませんでした。
 いま思えば、前期の成績がよくなかったわけですから、夏休みにもっと厳しく指導をしておけばよかったと悔やまれますが、夏休みにがんばるという言葉を聞いて、本人の自主性に任せてそのまま後期を迎えました。ところが後期の成績も伸びず、ついに2003年の春、入学してからほぼ2年後のそのとき、2回連続で必修ロシア語を落とすという結果になり、学則によって退学となってしまうことになりました。
 大学に残ってロシア語の勉強を続けたいと本人は言うのですが、学則では「成業の見込みがない」として退学させることになっているのです。大学に入学するまで、進学などでそれなりにいろいろ苦労してきたとは思いますが、はたから見れば順調に大学まで進んできたこの学生にとって、またそのご家族にとって、「退学」というのは大きなショックだったろうと思います。教師として、もっと早く手を打つべきだったかも知れない、いやしかし、一人一人の学生に対してできる指導には限界があって、やはり本人の努力が足りなかったのだから仕方がない、などとあれこれ考えましたが、すべては学則どおりに処置されました。
 小生にも大きな悔いの残るできごとでした。その後も、授業への出席や成績がかんばしくない学生と話をしたりするときに、この学生のことを、しばしば思い出しました。あれから1年たちました。
 今日、その学生から1年ぶりにメールが来ました。別の大学に合格したとの知らせです。
 やったね! おめでとう♪ こう、メールの返事には書きました。
 この学生さんが大学に合格して、あらたなスタートを切れる、そのことがご家族の方をどれだけ喜ばせ安心させたかということは言うまでもないと思いますが、ご家族の方とは決して比べものにならないとは思いますが、この学生は、結局、この学生を指導しきれずに退学させてしまった教師をも喜ばせ、安心させてくれたのです。だから、1年ぶりにメールをくれたことが何よりもうれしいのです。この学生さんのメールには次のようなことが書いてありました(一部を引用するのをお許しください)。
 この一年、いろいろ考えました。「浪人生活は人を成長させる」とか言う以前なら負け惜しみにしか聞こえなかった言葉も、今はわかります。きっと、地に足がついていなかったんですね。というか、何も考えていなかった。自分のしたいことだけをした結果、激しく後悔することになり、両親や妹にもいろいろな面で迷惑をかけてしまいました。家族には本当に感謝しています。
 メールのなかのこの部分を読んで、ご家族の方のご苦労もさることながら、やはり、この学生は自力でこんなに成長したんだなと思いました。それにつけても、教師なんていうのは大したことはできないなぁと、つくづく思います。
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2004-03-11 それぞれの第一歩(その1)
 この4月から新入生となって新しいスタートを切る「元受験生」の学生さんたちは、今は、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えて、入学式までの日々をそれぞれの仕方で過ごしているだろうと思います。
 ロシア語学科の入試の結果が出てまもない頃、2月中だったと思いますが、すでに上智大学ロシア語学科への入学を決めて、早くもロシア語の勉強に取りかかった学生さんもいます。なぜ、そんなことを知っているかというと、メールで小生のところに、どんな辞書がいいか?とか、筆記体の書き方は?とか、尋ねてきた「元受験生=新入生」がいたからです。
 まあ、熱心な、と思う方も多いと思いますが、確かに「先んずれば人を制す」という言い古された言葉は、一面の真理をついているだろうと思います。実は小生も、大学入学前にロシア語の勉強をしていました。 第一志望だった国立大学の一期校(センター入試や共通一次もなかった当時は、そういう用語のある制度でした)に不合格となって慶應に進学することを決めたあと、入学式までまだ日にちがあったので、そのあいだに入学後に選択するつもりだったロシア語の勉強を始めたのです。 これまで聞いたこともない初めて学ぶ言語だったので、カセットテープのついたテキスト(佐藤純一先生の『NHKロシア語入門』)を買ってきて、勉強を始めたのでした。当時の自宅のトイレにはホワイトボードがあって、そこに単語を書いたりして、発音と同時に綴りも覚えようとしていました。
 あとは何をしていたんでしょうかね。よく覚えていません。現役だと、高校の卒業式までは学校に通うでしょうが、小生は「一浪」だったので、入学式までは、けっこう時間があったように思います。旅行とかをするお金もなかったし、旅行好きでもなかったし、そうかといってバイトをするという考えもなかったので、おそらく友人と会うか、本を読むか、多分そんなことをしていたのでしょう。
 この4月、大学に入学する新入生の皆さんは、いまどんなふうにして第一歩を踏み出そうとしているのでしょうか。
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2004-03-02 入試の季節がおわり、「歩留まり」率が気にかかる
 入試の季節が終わりました。受験生も大変だったと思いますが、教員のほうも、受験生ほどではないけれども、けっこう大変でした。学科長は、言ってみれば事務取扱責任者ですから、事務的仕事が多くて、ホント大変でした。とりあえず、学科としては何ごともなく終了して、ホッとしています。
 もっとも、一般入試の場合、合格者全員が入学手続きをするわけではないので、つまり上智のロシア語学科の合格者のうち、上智のロシア語学科が第一志望でない人で、他大学あるいは他学部に合格したために入学手続きをしない場合がありうるわけなので、合格者のうち何人の学生さんが入学手続きをするかということ、これを業界用語で「歩留(ぶど)まり率」というのですが、この「歩留まり率」がどのくらいなのかが気になるところです。
 もちろん、「歩留まり率」を事前に予想して、定員を上回る合格者を出しておくのですが、「歩留まり率」の予想はなかなか難しくて、何か「運を天に任せる」みたいなところがあります。そして、もしも「歩留まり率」が悪くて、入学手続き終了者が定員以下であった場合には、補欠合格者から入学してもらうことになります。補欠合格者となった人で、他に行くところが決まっていなかった人は、上智のロシア語学科に入学が認められると言うことで、ラッキーと言うことになるのかもしれませんが、こちら側としては、歩留まり率が予想を下回るというのは、心穏やかではありません。また逆に「歩留まり率」が予想を上回って、定員を大きく超える入学者があったときは、こんどは1クラスの人数が多くなって、語学専攻の学科としては、これまた好ましい事態では決してありません。
 だから、学科としては、今は「人事を尽くして天命を待つ」みたいな心境です。つまり、試験が終わってから合否結果が発表されるまでの受験生の心理と似ていると言えるかも知れません。この「天命」は、いつまで待たなければいけないかというと、国立大学の後期日程の試験の結果が判明するまでということなのだと思います。
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2004-01-31 追いコン! クラコン!
 1月28日(水)、「追いコン」が開催されました。必修授業を持っていないこともあって、久しぶりに顔を合わせた4年生もいます。厳密に言えば、卒業できるかどうか、最終的にはまだ決まっていないのですが、でも就職も決まって、みんな、なんだか晴れ晴れとした顔をしていましたね。2次会までちゃんとセッティングができていて、いつもながら、幹事役のヘルパーの学生さん、ごくろうさまでした。
 その2日後の、1月30日(金)は、1年生のクラコンでした。最後なので、出席しました。こちらは、また幹事役の学生さんが、いつもながらに盛り上げてくれて、今回は、1年生の中から、MVP、MIP(Most Impressive Person?)、もっとも勉強頑張った人(MVPとどう違うのかな?)、来年度期待できる人などを、投票で決めるという、楽しい趣向がありました。あと、クラコン皆勤賞(6回参加!)というのもありました。これらの賞に、それぞれ楽しい賞品を用意するなど、本当にいつになく盛り上がりました。
 ところでクラコンのときに、留年かどうか、聞かれて困りました。確かに、必修ロシア語の成績が悪ければ、残念ながら留年してしまうことは事実です。でも、普通にやっていれば、いい成績はとれなくとも、ともかく進級はできるものです。もしも、もしも、留年ということになったとしたら、それはやっぱり、思い当たることがあるのではないでしょうか。 一生懸命やってるんだけど、なかなかできるようにならない、と思ったら、なるべくはやく教員に相談に来てくれればいいのですが・・・。
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2004-01-24 遅い新年のごあいさつ
 もう1月24日になってしまいました。今更ですが、年賀状に書いた文を引用します。
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。大学では、授業のみならず、論文指導・就職活動支援・生活指導、学科の運営、入試事務、学部改革など、いろいろな仕事が増えてきました。年末には、ロシア下院選挙があってその分析など研究者らしきこともやってはいますが、最近は教育と学内行政に割くエネルギーの方が多くなってきたのかなと思います。今年がみなさまにとってよい年になりますようお祈り申し上げます。2004年元旦
 こんなあいさつ文を書いて年賀状をポストに投函したのもつかの間、もう入試の季節です。今年は我が家でも娘が高校受験で、お正月どころではありませんでした。小生はといえば、年末年始は、怠惰な自分にむち打って、集中講義をし、年賀状を書き、原稿を書き(祝!『[新版]ロシアを知る事典』完成! それと『アクセス地域研究』も出ます!)、期末試験問題を作成し、なんやかやで、アッという間に過ぎてしまいました。
 「紅白歌合戦」はどんなだったんでしょ? 「レコ大」は? 「新春かくし芸大会」は? 子どもの頃にはお正月はけっこう見ていたテレビも、今やほとんど見ることもなく、そういうお正月とは何十年もの間、縁が切れています。
 さて、春休みが始まると授業はありませんが、ロシア語学科の学生さんはけっこう真面目に復習などをしたりしてると思います。この3月に留学に出る人も何人かいますね。小生は、今年は、2004年度のゼミの教材を、春休み前に配布することにして、何人かの学生さんにはもう手渡しました。また、2004年度には新しい授業を持つことになるので、その準備もしなくてはと思います。
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